Re:日本はあらかじめ『意見の正当性』が『空気』『世間』によって決められており、そこから外れた意見は『意見』として考慮されない社会なので、オタクは常に負けを確約されている
世界のはて
Masao_hateさんのエントリに対するコメントが長くなってしまったため、こちらにて。
外の人間たちの言う「オタク」がいかに僕たちの偏った部分だけをなぞっているものか、いかに適当なイメージで全てのオタクを語りきったつもりになっているかを、長くオタクとして過ごしている僕たちは知っています。
一方で、外の人間がまだ気付いていない「オタクが抱える深刻なコンプレックス」や、僕たちが起こしてしまいかねない危険な兆候・リスクも僕たちは知っています。少なくとも知れる場所にいます。そして僕たちが楽しんでいる間、外の人間たちが「実際僕らをどう見ているか」について僕たちはあまりに知らなすぎます。外からの無自覚なオタクバッシングと同じくらいに。また「オタク」と一括りにするにはあまりにも数が増えすぎ、多様化しすぎています。
僕たちが愛する対象は一般人から見ればどれだけ言葉を尽くそうと理解の得られにくいものです。得られにくいからこそ人はオタクというレッテルを貼ります。
僕たちはかつてそれを学んでひとつのスタンスを生み出しました。「理解しなくてもいい。僕らはひっそりやるんで、僕らの世界でやるんでせめても見逃してくれよ」と(宮崎事件やコミケ幕張追放事件からのスタンスですね)。
それによって偏見を取り去ることはできませんでしたが、僕たちは僕たちに必要な多くの文化を残すことができました。コミケ然り、(当時と比べてもさほど劣らない)自由な表現然り。
しかしそれから20年、僕たちは自身が考えている以上に大勢となってしまいました。「ごく少数の人間のやっていることだから見逃せよ」と言える規模ではないことはコミケを見ても秋葉原を見ても感じられますし、「嫌なら見るな」というにはあまりにもいたるところに姿を表しすぎています。表現は過激化・突出化を続けています。無自覚な状態でオタクになれる基盤ができたことで、外だけでなく中での問題が発生している状況もあります。
またこの20年は悪い点だけではありません。価値観の(半ば無責任でもある)多様化や、僕たちの対象であるゲームやアニメのうちいくつかが広く一般に受け入れられたこと、僕たちが大勢となったこと、世代が進んだことで、かつてほど頭ごなしに存在を否定されることが少なくなった側面もあります。
そんな今の状況に対して、僕たちオタク自身が無自覚にすぎるというのは、この数年強く感じ続けているのです。
僕たちは僕たちオタク自身を知らなすぎます。言及されているとおり僕たちが世間に与えてしまう影響も過小評価しすぎています。自身が知らないことを、目を背けていることを、どう外の人間に対して伝えていけるのか。強い懸念を感じています。
今、そんな状態で正当性のぶつけあいをするのかと。10年先の僕たちの文化を「守る」ことを忘れて、「表現の自由」という一本槍で闘おうとするのかと。
僕たちは今岐路に立たされているのだと感じています。20年かけてちょいとタガをはずしすぎたことを強く感じています。僕もこの文化で育てられ、恩を感じていて、これからもこの文化が続くことを望んでやみません。ことに完全に飽和状態であるコミケが10年後も残っていてほしいと願っています。だから「守らなきゃ、考えなきゃ」と思っています。
(注
非実在青少年についてのスタンスは各所で明確にしているものの、このエントリだけを見るとあたかも賛成しているように見られかねないので改めて。
あの法令は一言、言語道断であると思っています。あれの施行によって実際に制限されるものは多くないだろうと思いますが、あれが与えるイメージの強さ身勝手さはとんでもない。またコミケをピンポイントに狙い撃たれそうな点がどうにもまずい。というわけで絶対に阻止しなければなりません(僕も反対の意を本籍地にメールをしました)。
しかし、冷静に見たときに現在のオタク業界はタガがはずれてしまって危険な状態にあると思っています(本文で触れたとおり)。これはオタク業界内部で考えていくべき課題であると考えていますが、「表現の自由」というただその一点しか我々に言うことがないのなら、外から冷や水をかけられるのもやむなしでないか…と感じているのも偽らぬところであります。