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ネトゲで本当に死ぬべきもの

ネトゲのキャラクターは死ぬべきである : hedachiの日記

懐かしい話だ。この話題はMMOの始祖、ウルティマ・オンラインの時代から語られてきた話で、既に結論が出ている話でもある。特に2ちゃんねるのネトゲ板では、新人古参問題というのは長く専門的に議論されてきていて、その奥深さといったらちょっと尊敬できるくらいだ。
さらに言えば問題の根源は1990年、インターネット以前のプレイ・バイ・メールにまで遡ることができる。

死ななきゃならないのはキャラクターじゃない

オンラインゲームにおける最大の資産はキャラクターではない。アイテムでもない。古参プレイヤーの経験と知識、人的なネットワークだ。
あるときに新規プレイヤーがゲームを始めたとしよう。彼は初めてのゲームで頑張って世界のルールを憶え、敵を倒し、じっくりとキャラクターを育成していく。
だが同時に2ndキャラクターを作った古参プレイヤーがいたとしたら。古参はノウハウを駆使して圧倒的な速度でキャラクターを育てていく。可能な限りの効率で最短ルートでだ。気がついたらNewbie(初心者プレイヤー)と古参の差は覆せないほどになる。
どれだけキャラクターをリセットしようと、アイテムを奪おうと、この差は覆せない。

もし現実世界で人が老いて死ぬことがなかったらどうだろう。アリストテレスとか、ゲーテとか、ニュートンが今なお生き続け、老いることなく知識を積み重ね続けていたらどうだろう。王貞治が未だに現役バリバリで毎年ホームラン数を伸ばしてたり、福本豊が毎年盗塁数を増やしてたらどうだろう。上を蹴落として誰よりもすごい奴になりたいと思う、あるいはそんな夢だけでも見ていたい俺ら若者としては、つまんねーとしか言いようがない世の中になるだろう。

ニュートンが死んで、ニュートンjrが生まれても、ニュートンjrはニュートンシニアの知識を全て受け継いでいるのだ。王貞治の子は生まれながらにしてホームランの打ち方を知っているのだ。体力さえつければ親である王貞治を遙かに超える名バッターになれる。

知識が役に立たなくすればいいか?それも無駄だ。古参連中は同じくらい知識のある仲間を持っている。彼らはしばしば手を組んで、アップデート時に、あるいは新しいゲームのスタート時に一気呵成にシステムを攻略していく。

その昔、郵便で大規模なネットゲームを行っていた遊演体という会社がある。この郵便による“ネットゲーム”は一年かけて1つのゲームを参加者全員で楽しむというものだ。
ここでもベテランたちは猛威をふるった。ネットゲーム'90「蓬莱学園の冒険」がスタートしたとき、既にネットゲーム'88をプレイしていたベテランたちは徒党を組んでゲームの中心に居座ってしまったのだ。
インターネットのオンラインゲームでも、ディアブロ2でこの状況をリアルタイムに見ることができた。

キャラクターが生まれ変わりレベルが均一化されるのだから古参と新人がパーティを組むことができるだろうって?実際、新人育成に力を入れる古参は多い。
だがオンラインゲームの世界を見てみるがいい。古参は古参同士で効率的でハイレベルなプレイを楽しむのだ。

わかるか?問題の根源はキャラクターにあるのではない。
キャラクターが死んでも何も変わらない。
古参プレイヤーが死ななければならないのだ。

そもそもオンラインゲームの魅力って何さ?

オンラインゲームはまったくもって麻薬のような存在だ。
学業を仕事をプライベートを放り出してオンラインゲームにのめり込む人の多さと言ったら、大変なものだ。僕も海外サーバーしかない頃からUOをプレイしていたが、いろいろ大変なことになった。寝食を惜しんでUOをプレイし、危うく勘当されるところだったりもした。

ではなぜ、そこまでオンラインゲームが魅力なのか?
それは他者との競争があり、誰もが求めてやまない「俺すげぇ!」を満たすことができるからだ。つぎ込めばつぎ込むほど、キャラクターのレベルや称号、ランキング、プレイヤー間での名声が高められる。気が遠くなるようなルーチンの果てに、一時の居場所を見つけることができる。

費やしてきた時間の見返りはハイレベルなキャラクターであり、bankに溜まったレアアイテムの山だ。それを循環させる?とんでもない!

君があるゲームを始めたとしたら、「古参うぜぇ」と思うかもしれない。プレイヤー全員が平等であるべきと感じるかもしれない。でもその君がゲーム内で一定の権威を得られたとしたら。君はそれを喜んで投げ捨てられるか?0からもう一度始めたいと思うか?

誰もが主人公になりたい。デイリーのランキングよりもマンスリーのランキングでトップに立ちたい。ゲームの中で有名になりたい。
そのために費やさなければならないのは時間だ。労力だ。あるいはアイディアやセンスだ。古参たちはそれをしてきた人たちだ。新人はこれから彼らを超えていかなければならないところに立っているだけだ。

誰もが平等なゲームなど、本当は誰も求めていない。
自分が人よりもすごい奴になりたいと思っている。
ただ、何万といるプレイヤーの中で誰よりもすごい奴になるためには犠牲と運が必要だってだけだ。

ゲーム運営者にとって理想のプレイヤーとは何だ?

正直、オンラインゲームの運営ってのはなかなかに危うい。
ユーザーが少ないのがピンチであるのはもちろんだが、アクティブなユーザー数が多すぎるのも困りものだ。膨大なトラフィックを裁ききるだけのサーバーを用意しなければならないから。オンラインゲームの1人あたりのトラフィック量は少なくない。10万人ユーザーがいたとして、全員が一気にログインされるのは決して喜ばしいものではないのだ。

だから運営者にとって理想のプレイヤーとは「毎月課金してアカウントを残しつつ、さほどログインしないプレイヤー」ということになる。
(これはオンラインゲームだけでなく、サーバレンタル屋、プロバイダ、携帯キャリアなど通信を扱う多くの事業者でも同様だ)

で、こういう非アクティブなユーザーはどういうパターンが多いかというと、
「十分にゲームを楽しみ飽きてはいるが、これまでに育ててきたキャラクター、集めてきたアイテムが惜しく、きっぱり辞める気にはならない」というのが挙げられる。

こういうユーザーを集めるアイディアに「長期報償システム」が挙げられる。アカウントの年数によってレアなアイテムをプレゼントするアレだ。
アカウントを消して再度取り直すとこれらの報償はもらえない。せっかく数年もプレイしていたんだし、これからの報償はレア度が破格に上がっていくよなぁ…なんて考えてアカウントを残しているプレイヤーを、僕は多く見てきた。

もちろん、運営者が新規顧客を冷遇するということはない。当然のことながら規模の拡大は絶対的なタスクであるし、ユーザー数の維持のためにも新規参入者優遇は必要な措置だ。
できる限り長く続けてもらわなければならない中で、彼らが引退を考えがちなキャラクターやアイテムのリセットなど考えられるはずがない。
相手はたった半日、データが巻き戻っただけで総力でdisってくる連中だぞ?プレイヤー間の差を奪うような真似ができるか?


他にも様々な問題はあるけれど、このくらいにしておこう。
で、このエントリのメインテーマはソーシャル・システムだって?
老いと滅びと飽きは世の理であり、成熟した新人がそれに成り代わる、それだけの話でしてよ。