hatena@raf00

@raf00のはてな出張所

はてなボトルの構造的な失敗

わたしは「はてな」を過大評価していた。

「はてな」を過犬評価していた、に見えた人は手を挙げます、はい。


はてなボトル サービス終了のお知らせ
はてなダイアリー

はてなボトル、ほんとスパムだよね。
12月5日にリリースされた「はてなボトル」ですが、これがかなり非難轟々。
僕も登録して初日は楽しんだのですが、あまりのメールの多さに退会方法を探してないことに絶望し、「海辺を離れる」をようやく見つけて退会しましたよ。

で、このサービス。発想の時点でいろいろ問題があります。

どんなサービスなの?

  • サイト上で「相談」を登録できる
  • 登録された「相談」ははてなボトルの登録者にランダムで送られる
  • 送られた「相談」ははてなメッセージ・登録メールで通知される
  • 「相談」到着から30分ほどで「回答」を入力(サイトに遷移し入力)
  • 回答された「相談」が一覧に表示される
  • 24時間回答されなかった「相談」は「海の藻屑」となり一覧にオープンされる
  • 諸検索・フィルタリング機能は未実装。履歴も見れない。
  • オープンされた相談・回答はどちらもはてなスターがつけられる

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どんな問題があるの?

この部分が今回問題として指摘された部分。
はてなボトル」に登録すると30分に1本以上のペースでメッセージ・メールが送られてきます。
昼夜を問わずメールが送られてくるのでメールボックスはてラボからのみ受信メールでいっぱい、さらに酷いことにこれらのメッセージの有効期間はだいたい30分ほどであるため、古いメッセージは完全に無駄。回答できるわけでもないメッセージが仕事中に、風呂に入っている間に、夜寝ている間にどんどん送られてくるのです。

さらに悪いことに。

これだけでも十分にスパムサービスとして厳しいのですが、「はてなボトル」の致命的な欠点は別にあります。
それは「非アクティブなユーザーが増えるごとに相談が海の藻屑になりやすくなること」。
入力した相談は全登録者に対してランダムに送られ、24時間の回答がないと海の藻屑として処理されるのですが、サービスを放置する非アクティブなユーザーが増えるほど相談は無駄にたらい回しにされ、藻屑になりやすくなってしまうのです。

運営が続くほどに辛くなる負の連鎖。

というわけで「はてなボトル」はサービス開始から負の連鎖に陥っています。つまり、

  • 登録後、大量のメールに悩まされ、放置退会するユーザーが増える
  • 非アクティブユーザーが増えるほどに回答されない相談が増える
  • 回答されない機会が増えて意欲を失い、アクティブなユーザーが減る
  • さらに回答されない相談が増える。たらい回される相談が増え、メールは一向に減らない

という連鎖のパターンです。

なぜこうなったのか。

実験的サービス公開サイトであるはてラボは以下のサービスであるにしても、これはひどいです。
検索機能や履歴、はてなスターなどの機能は後でいくらでも付ければいい。ヘルプがないのだってβ版だからおいおい考えるなり、ユーザー間で補完すればいい(いや、本当は良くないんですが)。

サービスが始まって利用者ができた時のシミュレーションが一切行われていないのが酷い。
秋合宿でサービスを発表した時点で、「いっぱいメールが来ると迷惑がられない?」「相談と回答のバランスって取れるのかな?」と質問はなかったんだろうか?ニコニコ動画Twitterが誕生したとき、「サービスの同期/非同期的コミュニケーション」について語られたが、30分の回答制限、24時間の相談時間制限がある状況で、相談と回答がバランスよく処理されるかを考えられなかったのだろうか?こんなもん、サービス概要図を作れば1時間で疑問に思える問題です。
ビジネスとして使えるかというさらに手前の「サービスとして成立するか?」に考えが至らないのは、大変にまずい。いくらサービス実験の場だからって、ちょっと考えればストレスになるとわかることを試す価値なんてない。

ではどう解決するか?

まずメールに頼るのはまずすぎるんで捨てるべきですよね。ざっくり対案を考えると…

  • サイト上で「相談」を入力できる
  • サイトログイン時、最初に誰かの「相談」が表示され、回答を求められる
  • 表示された「相談」が気に入らないものであった場合、別の「相談」を表示し、回答することができる」
  • ログイン後は常に「相談する」フォームと、ランダムに相談が表示された「回答」フォームが表示され、相談・回答ができる
  • はてなメッセージへは、一日の相談・回答一覧が送信される

って感じで。似たサービスなんていっぱいあるじゃん?うん、それはそうかもしれない。でも少なくともストレスは減るよね。回答しなきゃならないって点で回答内容が薄くなる可能性はあるけど、「ネタを強制される」という点でハイクとの差別化にはなりますよ。

入場料を取るけど本読みにちょっとうれしい本屋さんの小案

DARTSLIVE ダーツライブ
ダーツ マシン VSPHOENIX S オフィシャルサイト DARTS JAPAN

最近ダーツにはまっているのだが、エレクトリックダーツも最近はネットワーク化されていて大変面白い。現在「DartsLive」「PHOENIX」という2機種がカード対応しており、例えばPHOENIXだと下記のような特徴がある。

  • 専用のカードを購入することで以下のようなゲームの記録が残せる
    • ゲームの総合的な成績から判断される巧さ「レーティング」の表示
    • 過去のゲーム平均、各種アベレージの表示
    • 過去のゲーム成績を振り返り、成績を見ることができる
    • 対戦の勝率を表示できる
    • 達成したアワードの回数が表示できる
    • 最近のプレイデータを表示できる
  • カードを使ってプレイすることで以下のような変化が出せる
    • プレイヤー表示を公式サイトで設定したオリジナルアイコンで表示できる
    • 各アワードが出た時の表示をカスタマイズできる
    • プレイヤー名にレーティングが表示される
  • カードへの登録情報から、ホームショップを設定でき、ホームショップのプレイヤーランキングや、現在プレイ中のユーザーなどの情報を表示できる
  • 上記のようなデータをいつでもPC・携帯から見ることができ、1プレイが完了するたびに情報が更新される
  • 具体的な使い方は実装されていないものの「ゴールド」が存在し、現在は対戦時にベットしゴールドを取り合うことができる。
  • プレイ数やレーティングから同程度のレベルの相手とオンライン対戦をすることができる


ダーツというのはそれだけでも十分にエキサイティングなスポーツだけど、カードを使うことで、楽しみがさらに増えるのが面白い。
大抵数時間もプレイしていると、集中力が切れて中だるみしがちだが、カードを使い始めると一瞬も気が抜けなくなる。集中力が重要なスポーツだけに、1ゲームでも適当なプレイをすると即レーティングが下がるという緊張感はありがたいわけで。


というわけで、このような機種を見かけてこの1ヶ月すっかりダーツにはまっているのだけど。
述べたいのはそれだけではなく。


こういう、「仕掛けを1つ作ることでいろんな視点でメリットが増える」アイディアは、先週大いに流行った「本屋de入場料」でも考えるべきだよ、という話。


書店は入場料を取って良い
入場料を取る未来の書店を考える


このアイディアはそもそも現状分析がされていないという致命的な問題点があるのだけれど、それをおいてもアイディアの部分が店側の都合でしかないというのがよろしくないと感じる。
また、入場用の自動改札を設けるというのは、書店経営の上であまりに厳しい投資である割に、このシステムが(chikuraさんの思い通りに)好調に機能したとしても投資回収の目処は立てにくい。
書籍が1冊売れても店舗の利益は数円、対して自動改札は1台数百万だ。入場システムだけで完結させるのはあまりにももったいない。


ってことで、この磁気カードに付加価値、というか別サービスを備えさせ、別のメリットを提供するという部分で、冒頭の「ダーツとネット対応カードシステム」を参考にちょっと対案を挙げたい(ただ、根本となる新規客減少と採算性の問題は全く解決できていないので気をつけられたし)。

前提
  • この自動改札とカード方式を1つの書店だけで実施するのは圧倒的に無理なので、組合なり、大規模チェーン店などが組織的に行うことが前提になる。
  • カードは入場料情報だけでなく、ID情報も取るものとする。カードを持たせるならID割り振っていろいろできる方が絶対楽しい。
  • これらのIDで、購入書籍情報や来店回数・特に多く来店するホームショップ情報を取得する。
利用客同士の情報交換

例えば、このカードで購入した本の中で良かった本を利用客がオススメしあうことができる。カード利用客はPC・または携帯からこのオススメを見ることができる。
このオススメの閲覧はカードの購入履歴から、ジャンルが近いものを優先的に表示できると良い。また、可能な限り自分の良くいく書店での情報が優先される方が良い。購入履歴の他者への公開はプライバシーに関わるので、自ら購入書籍毎に公開させる方が望ましい。
わずかながらではあるが、書籍のPRができる。できなくてもホームショップで他に積極的な本読みがいるというのを認識できる。

続きものの購入チェック

コミックなどを「何巻まで買っていたっけ?」と悩むのは個人的にはよくあることで、これらの情報をサイトから登録しておけるとgood。さらにサイトから購入しているシリーズの最新刊が出るよとアラートを出してくれるとbetter。で、さらにサイトからこの最新刊の取り置きを予約できるとBest。
過去に購入した作家の新作情報が見れるようにするのも良いね。

購入冊数を登録してランキングに参戦できる

カードを使って購入した書籍点数を公開でき、全国で特に多く本を買っている人ランキングに参戦できる。それだけなんだけど、とりあえず「俺は本読みだぜ!」と全国規模で自慢できる。


んー、ライトユーザーを引っ張る策が思いつかない。
ただ、本読みがこのカードを持つわずかなきっかけと、緩やかに彼らを囲い込む仕掛けにはなるのではないだろうか?本当にわずかではあるけれども。


顧客がIDを持つという状況は、管理上利便性が向上するだけでなく結構いろいろ応用がきく。どなたかが発案されていたが、購入した書籍を店舗に預けられるサービスなどはIDがあれば円滑に開始できるものの1つだろう。


「本以外の商品を売った方が儲かる」書店ビジネスで、書籍の復権を狙うのはなかなか難しいが、カードとネットサービスを組み合わせるといろいろ面白いというところはぜひ掘り下げたいテーマだ。

ネトゲで本当に死ぬべきもの

ネトゲのキャラクターは死ぬべきである : hedachiの日記

懐かしい話だ。この話題はMMOの始祖、ウルティマ・オンラインの時代から語られてきた話で、既に結論が出ている話でもある。特に2ちゃんねるのネトゲ板では、新人古参問題というのは長く専門的に議論されてきていて、その奥深さといったらちょっと尊敬できるくらいだ。
さらに言えば問題の根源は1990年、インターネット以前のプレイ・バイ・メールにまで遡ることができる。

死ななきゃならないのはキャラクターじゃない

オンラインゲームにおける最大の資産はキャラクターではない。アイテムでもない。古参プレイヤーの経験と知識、人的なネットワークだ。
あるときに新規プレイヤーがゲームを始めたとしよう。彼は初めてのゲームで頑張って世界のルールを憶え、敵を倒し、じっくりとキャラクターを育成していく。
だが同時に2ndキャラクターを作った古参プレイヤーがいたとしたら。古参はノウハウを駆使して圧倒的な速度でキャラクターを育てていく。可能な限りの効率で最短ルートでだ。気がついたらNewbie(初心者プレイヤー)と古参の差は覆せないほどになる。
どれだけキャラクターをリセットしようと、アイテムを奪おうと、この差は覆せない。

もし現実世界で人が老いて死ぬことがなかったらどうだろう。アリストテレスとか、ゲーテとか、ニュートンが今なお生き続け、老いることなく知識を積み重ね続けていたらどうだろう。王貞治が未だに現役バリバリで毎年ホームラン数を伸ばしてたり、福本豊が毎年盗塁数を増やしてたらどうだろう。上を蹴落として誰よりもすごい奴になりたいと思う、あるいはそんな夢だけでも見ていたい俺ら若者としては、つまんねーとしか言いようがない世の中になるだろう。

ニュートンが死んで、ニュートンjrが生まれても、ニュートンjrはニュートンシニアの知識を全て受け継いでいるのだ。王貞治の子は生まれながらにしてホームランの打ち方を知っているのだ。体力さえつければ親である王貞治を遙かに超える名バッターになれる。

知識が役に立たなくすればいいか?それも無駄だ。古参連中は同じくらい知識のある仲間を持っている。彼らはしばしば手を組んで、アップデート時に、あるいは新しいゲームのスタート時に一気呵成にシステムを攻略していく。

その昔、郵便で大規模なネットゲームを行っていた遊演体という会社がある。この郵便による“ネットゲーム”は一年かけて1つのゲームを参加者全員で楽しむというものだ。
ここでもベテランたちは猛威をふるった。ネットゲーム'90「蓬莱学園の冒険」がスタートしたとき、既にネットゲーム'88をプレイしていたベテランたちは徒党を組んでゲームの中心に居座ってしまったのだ。
インターネットのオンラインゲームでも、ディアブロ2でこの状況をリアルタイムに見ることができた。

キャラクターが生まれ変わりレベルが均一化されるのだから古参と新人がパーティを組むことができるだろうって?実際、新人育成に力を入れる古参は多い。
だがオンラインゲームの世界を見てみるがいい。古参は古参同士で効率的でハイレベルなプレイを楽しむのだ。

わかるか?問題の根源はキャラクターにあるのではない。
キャラクターが死んでも何も変わらない。
古参プレイヤーが死ななければならないのだ。

そもそもオンラインゲームの魅力って何さ?

オンラインゲームはまったくもって麻薬のような存在だ。
学業を仕事をプライベートを放り出してオンラインゲームにのめり込む人の多さと言ったら、大変なものだ。僕も海外サーバーしかない頃からUOをプレイしていたが、いろいろ大変なことになった。寝食を惜しんでUOをプレイし、危うく勘当されるところだったりもした。

ではなぜ、そこまでオンラインゲームが魅力なのか?
それは他者との競争があり、誰もが求めてやまない「俺すげぇ!」を満たすことができるからだ。つぎ込めばつぎ込むほど、キャラクターのレベルや称号、ランキング、プレイヤー間での名声が高められる。気が遠くなるようなルーチンの果てに、一時の居場所を見つけることができる。

費やしてきた時間の見返りはハイレベルなキャラクターであり、bankに溜まったレアアイテムの山だ。それを循環させる?とんでもない!

君があるゲームを始めたとしたら、「古参うぜぇ」と思うかもしれない。プレイヤー全員が平等であるべきと感じるかもしれない。でもその君がゲーム内で一定の権威を得られたとしたら。君はそれを喜んで投げ捨てられるか?0からもう一度始めたいと思うか?

誰もが主人公になりたい。デイリーのランキングよりもマンスリーのランキングでトップに立ちたい。ゲームの中で有名になりたい。
そのために費やさなければならないのは時間だ。労力だ。あるいはアイディアやセンスだ。古参たちはそれをしてきた人たちだ。新人はこれから彼らを超えていかなければならないところに立っているだけだ。

誰もが平等なゲームなど、本当は誰も求めていない。
自分が人よりもすごい奴になりたいと思っている。
ただ、何万といるプレイヤーの中で誰よりもすごい奴になるためには犠牲と運が必要だってだけだ。

ゲーム運営者にとって理想のプレイヤーとは何だ?

正直、オンラインゲームの運営ってのはなかなかに危うい。
ユーザーが少ないのがピンチであるのはもちろんだが、アクティブなユーザー数が多すぎるのも困りものだ。膨大なトラフィックを裁ききるだけのサーバーを用意しなければならないから。オンラインゲームの1人あたりのトラフィック量は少なくない。10万人ユーザーがいたとして、全員が一気にログインされるのは決して喜ばしいものではないのだ。

だから運営者にとって理想のプレイヤーとは「毎月課金してアカウントを残しつつ、さほどログインしないプレイヤー」ということになる。
(これはオンラインゲームだけでなく、サーバレンタル屋、プロバイダ、携帯キャリアなど通信を扱う多くの事業者でも同様だ)

で、こういう非アクティブなユーザーはどういうパターンが多いかというと、
「十分にゲームを楽しみ飽きてはいるが、これまでに育ててきたキャラクター、集めてきたアイテムが惜しく、きっぱり辞める気にはならない」というのが挙げられる。

こういうユーザーを集めるアイディアに「長期報償システム」が挙げられる。アカウントの年数によってレアなアイテムをプレゼントするアレだ。
アカウントを消して再度取り直すとこれらの報償はもらえない。せっかく数年もプレイしていたんだし、これからの報償はレア度が破格に上がっていくよなぁ…なんて考えてアカウントを残しているプレイヤーを、僕は多く見てきた。

もちろん、運営者が新規顧客を冷遇するということはない。当然のことながら規模の拡大は絶対的なタスクであるし、ユーザー数の維持のためにも新規参入者優遇は必要な措置だ。
できる限り長く続けてもらわなければならない中で、彼らが引退を考えがちなキャラクターやアイテムのリセットなど考えられるはずがない。
相手はたった半日、データが巻き戻っただけで総力でdisってくる連中だぞ?プレイヤー間の差を奪うような真似ができるか?


他にも様々な問題はあるけれど、このくらいにしておこう。
で、このエントリのメインテーマはソーシャル・システムだって?
老いと滅びと飽きは世の理であり、成熟した新人がそれに成り代わる、それだけの話でしてよ。

この先、しばらく道なりです

ずっと忘れていた。


言葉を書き綴るために情報など必要ないことに。
ただひたすら、思ったことを思ったままに書けばよいのだと。
なによりも書くこと。言葉を表に出すことが大事なのだと。


文章の上手さなど気にすることはない。
だって下手なのだから。


プロとして文章を書いていたなんて過去は関係なく、
いつだって僕は文章を書くことに対する悩みを抱え、
心が求めるその何分の一も言葉として表すことができずに苦しみ、
世の表現者達が自分よりも自分の感じることを形として出すことに絶望し、
マクドナルドの隣の席で雑談をする女子高生達の会話に
尊敬するあらゆる作家達の言葉以上に心そのままの言葉を見つけて歯噛み、
文章を書くことでしか何かを表現できず、
文章を書くことでしか満たすことができないことを知っているのに、
ずっと文章から逃げてきたのだから。


「世の中の面白いことを文章を通じて他の人に伝えたい」
そう思って文章を書いていたことがある。
それは決して嘘ではなかった。決して嘘ではなかった。
でもそれは一面でしかない。


僕は書きたかった。


何もない日曜日の午後に感じる圧倒的で抗えない空虚感を。
秋の夜に家に帰るときに感じる、どうしようもない悲しさを。
冬の夕方に建物から出た時に吸う煙草の煙の重さを。
五反田の弓道具店で見た貴女の輝くような笑顔を。
なんの特徴もないサービスエリアに足を踏み入れたときの心躍る気持ちを。
稲妻に打たれたかのような誰かの言葉に触れたときの感動を。
たった一言、言葉に出せば通じる一言をどうしても言えない時の息苦しさを。
選択肢がただ一つもなく、それでもありえない未来を思うときの無力さを。


僕は書きたかった。僕はそれらを書きたかった。
恥ずかしいほどに感傷的で受け身な僕は、もう一面でそれらを書きたかった。
絵を描けない、写真を撮ることもできない、映像など全く知らない僕は、
それでも自分が出会ってきた何かを残したくて仕方ない僕は、
言葉という形で書き残したかった。


小説という形ではないかもしれない、
詩という形でもないかもしれない、
人に見せる物ではないかもしれない、
だれかに同意される物ではないのかもしれない、
そもそも誰かが読んで伝わる物ですらないのかもしれない。
それでも僕は言葉という形で書きたかった。


でも僕は書かなかった。


それはいつからだっただろう。
30年という人生の中で、僕が僕の言葉を書かなくなったのはいつからだっただろう。
僕はそれを知っている。知っていながらそれを頑なに認めない。
あらゆる嘘と言い訳で、認めなければならないことを認めない。
時代のせいにして、環境のせいにして、他人のせいにして、
僕は書くことから逃げていた。


僕は他人からほめられる言葉を、他人から同意される言葉を書いた。
売り物になる言葉を書いた。
またある時は尊敬する誰かの言葉を模した文章を書いた。
形にするための言葉を書いた。
言葉にするために全部がそろっていることから目をそらして、
一瞬しか残しておけない気持ちを全部そこに置き残して、
僕は資料と情報が必要な言葉を書いてきた。


言葉なんて本当に簡単なものだ。
いつもそこにある。キーボードがあれば、ペンがあればそれは形にできる。
技術なんて必要ない。語彙がたりなくったって心配することはない。
僕たちは感動を形にするのに必要な言葉を十分に持ってる。
どんな生き方をしていても、それを偽らなければ鮮やかに感動を形にすることができる。


僕はずっと忘れていた。
書くことを忘れていた。感じることを忘れていた。
感じて、それをただ言葉にすればいいと言うことを忘れていた。
自分を一つところに縛る必要なんてないんだということを忘れていた。
言葉はいつでも傍にあって、いつだって準備万端で、
僕はただそれを書けばいいんだと言うことを忘れていた。
そこに伝えるべき人なんて必要がないことを忘れていた。
自分が書けばいい。書いて残せばいい。


時間はどんどん流れていく。取り返しのつかないことはどんどん増えていく。
過ぎていってしまった時間は途方もなく多く、
残されている時間はさらに遙かに多い。
でも、いつだって準備万端だ。いつだって書くことができる。
書かなくったっていい。誰もそれを気にしないし、僕も気にしないかもしれない。
僕は小説家ではなく詩人ではなく、作詞家でもなく今はライターでもない。
僕が文章を書くことを知っている人は多いが、
僕の文章を求めている人がいるわけでもない。
ただ僕は言葉を書きたい。


さて。

はてなブロガーと付き合い始めたのだが


彼女ができた。なんとはてなブロガーさんだ。


8月に参加したブロガーのオフで知り合い、10月から付き合い始めた。


これまで5人くらいと付き合ったことがあるけれど、一般的な女の子と比較して

* 考え方が論理的・非合理的、反論エントリを2時間で仕上げる
* 会話が散漫にならない、必ず「たった1つの結論」か「10の方法」か「ただしイケメンに限る」に行き着く
* プライドが高い、「死ねばいいのに」タグを付けられるほど負けず嫌い

といった点が目立つ。


見た目はしなもんの毛皮を剥ぎ取ったようなかわいらしさがあるのだけれど、要するに中身は男だ。

初めは戸惑いもあったが、案外こういう女の子とつきあうのは楽で楽しいと分かってきた。


会話は深いテーマも軽いテーマも蘊蓄とサヨク的偏見を伴って交わせる。内容は無かったりする。

いろいろ非モテ論、はてな村論、Googleストリートビューに言及するなど好奇心が強い。

日常雑記がベースなのにプログラマー著名人からのトラックバックを得ようとするなど向上心の強さがある。


反面、恋愛感情も論理的・合理的なのかな…と思いきや、

炎上するブログをコントロールできない自分に「おかしいな、普段はこんなはずじゃないのに///」と、恥ずかしがる。

はてなブロガーさん、はっきり言ってオススメです。


問題はどうやって知り合うかだけれど、コメント欄という営業モードの時に誘うのではなく、Twitterが狙い目としか。

初めの一歩が難しいだけで、後は一般的な女の子よりも付き合いは簡単かも。

だって普段はてブでしている会話と同じでいいんだから。



■女医さん
http://anond.hatelabo.jp/20081105135432

■女芸人
http://anond.hatelabo.jp/20081107052240

■ロナウジーニョ
http://d.hatena.ne.jp/fk_2000/20081107/p1

文章上達のためのトレーニングについて

ブロガー必見! 文章上達のための 12 と1/2のルール | Lifehacking.jp

フリーライターになる前にはこういうトレーニングをセコセコとしていたなぁと、いろいろ振り返ってみたり。特に「11. 一つのスタイルに落ち着かないこと」と「12. 一つの話題の両面を書けるようになること」は文章書きにとって重要だ。12に慣れてくると何を考えるにもいろんな視点がつきまとうようになって却って文章が書けなくなったり、自己完結してしまったり、妙に内省的になってしまったりもするがそれもまた文章書きらしいといえばらしい。

こういう「とにかく何でもいいから書こうよ」という訓練も行うべきであるが、高校時代に知り合った芸能プロのマネージャーさんに教わってやっていた「みかんノート」の訓練は、結構ブロガーの役に立つので日を改めて紹介したいなと思っている。

で、気になるブコメがあったので指摘させてもらいたい。

id:srv250s
これらの法則は強く思う。自分の場合、執筆時間は「午前四時」が一番ノってる。流れるように狂った文章が出てくる。同様の友人と「午前四時の邪神降臨」と呼んでいた。小説書いたのも文書力の練習になったなぁ。

午前4時を黄金時間にするのはすっげぇまずい。確かに午前4時〜5時くらいというのはメチャクチャ文章が出てくる時間帯ではある。しかし「夜中に書いた文章は翌朝読み返せ」という有名すぎる警句があるとおり、この時間帯の作業は「文章がダダ漏れる」のであって「文章をひねり出す」ものとは性質が全く異なる。ダダ漏れる文章というのは技術向上の役には立ちにくいのでもっと冷静になれる時間帯を見つけるべきだ。
(ただ、頭の中にあるものをこの時間帯に一気に原稿に出し尽くしてしまい、後でじっくり精査していくというやり方はあって、ライター時代これはしばしば使っていた。昼に文章をひねり出すよりも、潰し修正する作業時間の方が最終的な時間短縮に繋がるからだ)

マンナンが守らなきゃならないもの

表示できません - Yahoo!ニュース

ブコメを見ていると「野田聖子最悪!」などの意見が多いがコレ、上からの圧力ではなくマンナンライフ側の自主判断じゃないのかね。
蒟蒻畑による死者の数が、餅による死亡数より圧倒的に少ない、17件の死亡のうちマンナンライフの商品による死亡は3件しかないという事実よりも、はるかに大きな問題として見られてしまっていることは、消費者庁にもマンナンライフにも止められない状況だ。
またおそらくどれだけ注意書きを増やそうとも、幼児や老人がこんにゃくゼリーを食べなくなるとは思えない。次の死亡者が出てしまった時のバッシングは今以上になるはずだ。蒟蒻菓子=悪という印象が確実なものと判断されてしまう。

この未来は9割の売上をこんにゃくゼリーに頼るマンナンライフにとって最も避けるべき状況だ。
とすれば、今先手を打って身を潜めてしまうことで話題を沈静化させる方が、後々のためになる。
先の野田議員との談話のニュースでも、消費者庁からは改善策を求めただけなのに対し、マンナン側が販売停止を示唆していたように、今回の販売停止はマンナンライフ側が率先して行ったのではないかと思っている。

で、たぶん蒟蒻畑に代わる、蒟蒻を使ったヘルシー食品を考えているはずだ。蒟蒻ドリンクか、より柔らかく喉に詰まらない形状の蒟蒻菓子といった商品を。そういう新商品を来年の春あたりにさくっと出してきそうな気がする。