hatena@raf00

@raf00のはてな出張所

はてなtouchをいれてみたものの…

最近全然書いてなかったわけですよ。

ひとつの事をじっくり煮詰めて考える余裕もなかったし、Twitterに切れ切れと考えている事を出してしまっていたし。

マイクロコンテンツ化によって、ジャストアイディアな色々を投げる事はできるようになった。それをみんなで寄ってたかってコメントするのも様々な手段が用意されてる。
じゃあそうした進化によって僕らの頭は整理されたか、知識が集積したか。
と、考えると決してイエスとは言えない。

長文ベースに戻るべきかもしれませんね、僕ら。

Re:日本はあらかじめ『意見の正当性』が『空気』『世間』によって決められており、そこから外れた意見は『意見』として考慮されない社会なので、オタクは常に負けを確約されている

世界のはて
Masao_hateさんのエントリに対するコメントが長くなってしまったため、こちらにて。


外の人間たちの言う「オタク」がいかに僕たちの偏った部分だけをなぞっているものか、いかに適当なイメージで全てのオタクを語りきったつもりになっているかを、長くオタクとして過ごしている僕たちは知っています。
一方で、外の人間がまだ気付いていない「オタクが抱える深刻なコンプレックス」や、僕たちが起こしてしまいかねない危険な兆候・リスクも僕たちは知っています。少なくとも知れる場所にいます。そして僕たちが楽しんでいる間、外の人間たちが「実際僕らをどう見ているか」について僕たちはあまりに知らなすぎます。外からの無自覚なオタクバッシングと同じくらいに。また「オタク」と一括りにするにはあまりにも数が増えすぎ、多様化しすぎています。


僕たちが愛する対象は一般人から見ればどれだけ言葉を尽くそうと理解の得られにくいものです。得られにくいからこそ人はオタクというレッテルを貼ります。
僕たちはかつてそれを学んでひとつのスタンスを生み出しました。「理解しなくてもいい。僕らはひっそりやるんで、僕らの世界でやるんでせめても見逃してくれよ」と(宮崎事件やコミケ幕張追放事件からのスタンスですね)。
それによって偏見を取り去ることはできませんでしたが、僕たちは僕たちに必要な多くの文化を残すことができました。コミケ然り、(当時と比べてもさほど劣らない)自由な表現然り。


しかしそれから20年、僕たちは自身が考えている以上に大勢となってしまいました。「ごく少数の人間のやっていることだから見逃せよ」と言える規模ではないことはコミケを見ても秋葉原を見ても感じられますし、「嫌なら見るな」というにはあまりにもいたるところに姿を表しすぎています。表現は過激化・突出化を続けています。無自覚な状態でオタクになれる基盤ができたことで、外だけでなく中での問題が発生している状況もあります。
またこの20年は悪い点だけではありません。価値観の(半ば無責任でもある)多様化や、僕たちの対象であるゲームやアニメのうちいくつかが広く一般に受け入れられたこと、僕たちが大勢となったこと、世代が進んだことで、かつてほど頭ごなしに存在を否定されることが少なくなった側面もあります。
そんな今の状況に対して、僕たちオタク自身が無自覚にすぎるというのは、この数年強く感じ続けているのです。


僕たちは僕たちオタク自身を知らなすぎます。言及されているとおり僕たちが世間に与えてしまう影響も過小評価しすぎています。自身が知らないことを、目を背けていることを、どう外の人間に対して伝えていけるのか。強い懸念を感じています。
今、そんな状態で正当性のぶつけあいをするのかと。10年先の僕たちの文化を「守る」ことを忘れて、「表現の自由」という一本槍で闘おうとするのかと。


僕たちは今岐路に立たされているのだと感じています。20年かけてちょいとタガをはずしすぎたことを強く感じています。僕もこの文化で育てられ、恩を感じていて、これからもこの文化が続くことを望んでやみません。ことに完全に飽和状態であるコミケが10年後も残っていてほしいと願っています。だから「守らなきゃ、考えなきゃ」と思っています。

(注

非実在青少年についてのスタンスは各所で明確にしているものの、このエントリだけを見るとあたかも賛成しているように見られかねないので改めて。
あの法令は一言、言語道断であると思っています。あれの施行によって実際に制限されるものは多くないだろうと思いますが、あれが与えるイメージの強さ身勝手さはとんでもない。またコミケをピンポイントに狙い撃たれそうな点がどうにもまずい。というわけで絶対に阻止しなければなりません(僕も反対の意を本籍地にメールをしました)。
しかし、冷静に見たときに現在のオタク業界はタガがはずれてしまって危険な状態にあると思っています(本文で触れたとおり)。これはオタク業界内部で考えていくべき課題であると考えていますが、「表現の自由」というただその一点しか我々に言うことがないのなら、外から冷や水をかけられるのもやむなしでないか…と感じているのも偽らぬところであります。

TRPG文化における男女問題

はてなダイアリー

うおーちょうなつかしいー関連した話題いっぱいあるじゃーんっていうか最近俺ビジネスから100万光年関連エントリばっかりじゃね?みたいなことを思いつつ、今週は月曜から日曜までみっちり仕事に仕事に実家の事情に大変だったのでがっつり言及できる体力がねえ、というわけでTRPG女性問題についてのあれこれを五月雨に書き殴って寝るぜ、みたいな。

コンベンションにおける男女混合TRPGの法則

ってのを先週末にTwitterに投げたりした。マーフィーの法則っぽく現実を多分にデフォルメしすぎているが、まあ何十回もコンベンションをしてきた中で、デタラメとは言えないくらいの精度はあり、事前に気をつけていた法則だよね。


法則1:男子複数名と女子1名の組み合わせの場合、男子が女子に構い過ぎてゲームにならない
法則2:男子複数名と女子2名以上の組み合わせの場合、女子2名が絡みすぎてゲームにならない
法則3:女子GMと男子PCの組み合わせの場合、PCのトリッキーな行動にGMが対処しきれない
法則4:コンベンションで「じゃあ女子別卓!」とすると周囲の卓が女子卓ばかり見ていてゲームにならない

TRPGにおける固有の男女問題

男性が育てた文化だから…といった情緒的なホモソーシャルだけでない女性排斥の要因を持つのもTRPGの特徴だ。


TRPGというのはプレイヤーが自らの分身または手駒としてキャラクターを用意するのだが、男性プレイヤーが女性キャラクターを持つケースが非常に多い。TRPGの昔からMMOの時代まで欧米人に「異性キャラを使うプレイヤーが多すぎる日本は異常」と言われたり、稀にこのあたりの論議が起こることはあるものの、別に特殊なこととして扱われることではない。
が、女性がセッションに参加した場合、これが問題になってくる事がある。「リアル女子がいるのに野郎が女性キャラを使うのは変・恥ずかしい」「リアル女子が男が演じる女性キャラの行動にケチをつけてきた」「やっぱTRPG時の究極の飲み物はライフガードっしょ」「痴女キャラが使えないじゃないか!」、またGM側で用意したNPCに対して「女の子がそんな反応するわけないし」というクレームがついた例も聞いたことがあるなど、リアルVS仮想女子問題に発展する場合があるのだ。

また、TRPGは架空の世界で架空のキャラクターを動かす遊びであるが、「リアルカップルがパーティー内でもカップルになってストーリー内でイチャついて困ります」「先生、ヒーラーが女子キャラの回復に貼り付いてたせいで俺のキャラが死にました」「コーヒー牛乳こそ至高」「女子のキャラクターが無理矢理恋愛シナリオに絡まされます」などなど、リアルの人間関係や性別がシナリオ内に持ち込まれやすいという問題も発生することになる。

実際上記のようなトラブルは少なくない。かつてRaFという変な集団を主催しており、TRPGプレイヤー250人ほどの参加者中50人ほどが女性だったため、このようなトラブルは日常的に聞くところであった。恥ずかしい話、自分もそれを発生させてしまったこともある。


ともあれ、このような要因から「おにゃのこにTRPGを流行らせよう」という動きが確かにあった一方で、強烈なミソジニーが持たれて一面もある、ということは明らかにしておくべきだろう。

出会い目的のTPRG参加者

RaF内のTRPGサークルが主催するオープンなコンベンションもしばしば開催していたが、その中には明らかに異性目的で参加していたよねーって困った人たちがいたこともあった。


「えー?○○ちゃん今日来てないのぉ?じゃあ帰るわ」なんて言い出す馬鹿野郎もいれば、セッションにほとんど参加せず寄ってくる男子とのお話にのみ集中する“お姫様”もいた。

「おにゃのこにTwitterを流行らせよう」なんて動きは、Twitterがそもそも話をするツールであるためにその動機自体をどうこう言われるべきではないと思うが、TRPG界隈の場合はゲームをするのが主目的なので、丁重にご退場いただきたいもんである。

出会いを意図していなかったとしてもサークルクラッシュは容易に発生する。天然の粘着湯気女も多い。その上で明らかに出会い目的の臭いがプンプンする「流行らせよう」などといったキャンペーンが行われれば叩かれるのは至極当然であろうって話ですよ。


なお今出てきた「粘着湯気女」という言葉はTRPG界で使われる「サークルクラッシャー」の独自の呼称だ。粘着湯気女はその特徴まで踏み込んで分析されていたり、y_arimの元エントリで語られるように複数の雑誌で語られるなど、TRPG界ではかなり重大な問題として認識されている。1人2人ではできない遊びだけに、避けて通れないのだ。

女性のTRPG参加への障壁

ここまでは男性視点がかなり強いところだが、じゃあその時期にTRPGという存在を知る女性は何を考えてたのか?ってところを1事例として書いておきたい。


15年前の当時、文通をしていた女性からの話の要点をまとめるとこんなものだった。
ロードス島戦記のリプレイを愛読していて、TRPGをすごくやってみたいと思ってる。でも近くに仲間もいないし、TRPGサークルって男性ばかりだし、男性の家に行くのは怖い。コンベンションに興味があるけどやっぱり長いキャンペーンを体験してみたい」


当時のラノベ人気作は、TRPGのリプレイを起源とした作品が多かった。ロードス島戦記ルナル・サーガなどはその代表で、前者はOVAの公開が90年と古く女性の愛好者も多い。このため作品経由でTRPGを知り、関心を持つ人は少なくなかったのだ。
しかし彼女たちがTRPGを始めてみようと思えるほどには、TRPG業界はあまりに女子禁制の雰囲気が強かったと言えるだろう。一方では思惑に反して、一方では思惑通り、女性に広まることのないままであったのだ、あの時代は。(その流れの中で発行された富士見文庫の「女の子だってRPGしたいんだもん!」は、非常に意欲的な取り組みだった、女性から見ても反論が多いと評されはしたが)

インターネットが一般のものとなるちょっと前に「X-MARKET」や「じゃマ〜ル!」「Findout!」など、オタク同士をつなぐ交換や売買、友達・メン募専用の雑誌が相次いで発売されていた時期があったが、それらを注意深く見ると、機会そのものがない女性達を多く発見できたのだ(これらの雑誌もオタクネットワークの失われた方法であって個別に語りたいところであったり)。

本エントリに関する注意

TRPGに関する男女問題」というところに主眼を置いたが、男女混合でもうまく行っているサークルが数多くあったこと、性別の違いを問題とせず素晴らしいキャンペーンを織り上げていった例が多くあることを俺は知っている。女性メインのTRPGサークルを、かつて俺が主催していた“RaF”のサークル群で様々なトラブルが起こりつつも多くの好ましい関係が築かれていたことを知っている。
あと、千葉のVarious Assmbleというサークルが行っていた、女性が参加しやすいコンベンションなどの素晴らしい取り組みも行われていた。
TRPGからすっかり離れてしまった今、最近のTRPG界隈がどうなっているかを残念ながら知らない。おそらく15年前と同じ問題を抱えているだろう。
本エントリで女性嫌悪を肯定する意図を読み取られた方も多いのではないかと思うが、しかし可能であるなら様々な障害を乗り越えて男女楽しくTRPGを盛り上げていけることを望んでやまない。


とか書いていたら午前4時半。やばい体力が。

オタク文化は子供文化から切り離されたんだなぁ


はてなダイアリー

ありむーのサークルレポを読んで、「あぁ、こういう体験ができなかった点だけは、大学に行けなかったことを後悔するなぁ」と思う篠原です。専門卒の低学歴ですがなんとか生きてます。


で、この中ですごく気になった点。

それにしても……さっきから出てくる作品名が『メタルファイター ベイブレード』だの『極上!!めちゃモテ委員長』だの、朝の子供向けアニメばかりだ。そのへん現役生でもどれだけチェックしているか怪しいぞ。

この下り、普通に同感して読み流した後に違和感を感じた。
「朝の子供向けアニメばかりだ」。そう、ここだ。
ちょっと昔までアニオタを自認する者ならキッズ向けアニメも押さえていて当然だったのだ。

世間から「アニオタ=いい年して子供向けアニメを見ているけしからん連中。小中学生の登場人物に入れ込んでるロリペドたち」みたいな扱いを受け、“事実そうであった”ばかりか実際のアニオタ達の多くが世間が思う以上に入れ込んでいる時代というのがあったのだ。


魔女っ子モノと名作劇場がマストだった80年代から考えると、それらを一切無視して大人向けアニメを楽しめる現代というのはなんと豊富な選択肢が用意された時代だろう!と感慨深くもなろうものだよ。

で、余談。このエントリを読んだら山浦章の「オタクの用心棒」を激しく思い出した。オタクネタ好きにはサル漫と並ぶ名作なのでぜひ読め。
アニメ声優日高ノリ子とNHKとVHDとニュース速報は全部この漫画で印象が変わった。

ゲームミュージックの差異化ゲームと優越感ゲームは年季が入ってる


差異化ゲームや優越感ゲームとは無縁だったゲームミュージック - シロクマの屑籠


いやいやいやいや、ゲームミュージックはオタク内では昔っからしっかり差異化ゲームや優越感ゲームの素材として扱われてまして、ゼビウスだのドラクエ2の「lovesong探して」だのは最強!これに注目しないお前らはダメ!みたいに言われてたわけですよ80年代で既に。
んで、DQやFFのメインテーマやゼルダなどの有名曲なんかが子供時代をゲームで過ごした人たちにカジュアルに消費される中、スーパーファミコンの時期にはすっかり1つの文化に成長して、コナミの矩形波倶楽部、セガのS.S.T.BANDタイトーZUNTATAなど、ゲーム会社のライブが成立するようになったわけです。
カプコンなんかもデザインチームのあきまん西村キヌ達が有名になったイメージがありますが、アルフライラというユニットが形成されていたりと、ゲームミュージックのライブ展開は結構盛んに行われていて熱心なファンがついていたのです。


この動きが大きく注目されたのは90年、上記のメーカーユニットが一堂に会するゲームミュージックフェスティバルで、主催する角川のお家騒動が発生するまでの数年、ゲームミュージックファンの盛り上がりは絶頂に達していたのです(お家騒動後も同イベントは続きますが93年の分割開催でテンションがだだ下がり、95年が最後の開催となってしまいました)。


その後もZUNTATAだけはゲームミュージック界の伝説的存在として残り、「電車でGO」では一般にその名が知られるようにもなったり。


というわけで、ゲームミュージックの歴史はけっこういろいろあって、その中では優越感ゲームなんかも存在しましたよ、みたいな話。ZUNTATAがやたらと取り上げられる状況に反発する人も多かったしね。


加えて「オタクの外」という観点で見た場合、サブカルジャンルは自分たちの内面で優越感ゲームを取り入れることで自尊心を保つ傾向が顕著ですし、優越感ゲームの敗者側としてそれらを認識することも多いわけで決してそれらと無縁であるわけではありません。


ちなみに俺的ベストゲームミュージックは「メトロクロス」。オープニングからゲームオーバーまで音楽が一繋がりになってる非常に印象に残る名曲です。

フリーライター時代の20の思い出

会社でライター時代のあれこれを昔語る機会があったのでいくつかの「ライター時代の思い出」をtwitterに連続postした。以下はその転載と、何項目かの追加であります。1998年からライター業を始め、2003年までの5年間活動していたが、振り返ってみるといろいろあるもんだ。なお、これらのエピソードは一切の誇張が入らないよう注意したものであり、全て事実であります。

ライターの思い出:1

専業ライターとしての最初の仕事は某アニメ映画のファンムック制作だった。が、公開2週間前の試写会に行ったら、「完成度50%!」といった惨状。試写会に参加した一同顔面蒼白。喫煙所で一同緊急会議を開きだした。ファンムックの発売はなくなった。そう、ガンドレスだよ。

ライターの思い出:2

98年はネットが「情報収集に最適!」と認識され始めた時期だった。で、当時仕事も少なく日がなネットをしてたら変に情報通扱いされ、某ゴシップ誌編集に「デスク用意するからさ、暇なときはそこでネットしていろいろ情報集めてくれない?」と頼まれた。デスクは用意されたが行かなかった。

ライターの思い出:3

ライターが逃げて空いたページを埋める仕事が依頼されることも多い(というか、それが評判になって仕事が増えた)。大概こんな電話がかかってくる。「資料が集まってる急ぎの仕事あるんだけどさ、お願いできない?〆切?うん、昨日」昨日ってなんだ。

ライターの思い出:4

編集者とライターの関係というのはこのエピソードに集約される。「風俗の潜入取材は編集者が行く。デートクラブの潜入取材はライターがやらされる」んで、デートクラブ潜入取材のせいで、超有名エロ雑誌でツラが全国デビューしてしまう。白黒記事だからいいけど。

ライターの思い出:5

家に段ボール箱が届く。開けてみると女子校生物のAVが42本。直後に電話がかかってきて、「それ、1本あたり200字でレビューよろしく!〆切は明日の夜!」・・・42本のAVを38時間でレビューするってなんだそれ。早送りして乗り切る。ちなみに7回抜いた。

ライターの思い出:6

後日、家にまた段ボール箱が届く。開けてみると熟女物のAVが42本。再び時間との戦いを繰り広げる。ちなみに3本抜いた。

ライターの思い出:7

さらに後日、またまた段ボール箱が届く。開けてみるとスカトロAVが42本。地獄の底までたどりつく。ちなみに1本も抜けなかった。

ライターの思い出:8

「ケイ●ンシャ(残念ながら今はもうない)」と言えば「ウルトラマン怪獣大百科」「仮面ライダー大百科」などの知名度の高い大百科や、「釣り大百科」など実用的な大百科シリーズが有名だが、アダルトな大百科まで作っている事を知り驚愕する。上記は全てケイ●ンシャ大百科の仕事だ。

ライターの思い出:9

コミケの取材をする。プレスパスを付けた人間に対し、コミケ参加者は圧倒的に冷たい。

ライターの思い出:10

Webのゲーム情報サイト(今は亡きeg)で、数年ゲームショーのリアルタイムレポートを書く。プレスパスを付けた人間に対し、ゲーム会社広報は微妙に冷たい。

ライターの思い出:11

新人AV女優のインタビュー連載をまかされるも、当然いいことなんて何一つない。

ライターの思い出:12

ゲームライターとしての最上の思い出はPS2の発表会に立ち会えたことと、SEGAのハード撤退を伝えられたこと(昔ソニー信者だった)。

ライターの思い出:13

一時期流行した携帯電話情報誌に複数誌関わったが、プライベートで小遣い稼ぎしていた待受サイトが待受サイト大賞を受賞しちゃってビビる。その雑誌の編集に、「あれ俺」と言ったら騒動になった。あとなぜか別の携帯雑誌を制作する編プロからおめでとうとメールが来た。

ライターの思い出:14

携帯電話関連の話題を扱うようになって、各キャリアの携帯を保有していたら維持費でギャラの大半が飛んだ。

ライターの思い出:15

携帯電話情報誌の「出会いサイト攻略特集」で「こんなご挨拶メールを書けばモテる!」という例文を書いたら、いくつかの出会いサイトがその文章パクりやがった。これがライター時代を通して最良の思い出。

ライターの思い出:16

携帯電話情報誌の「出会いサイト特集」の中で、「モテモテくんとモテないくん比較」みたいな記事の、「モテないくんの写真モデル」に大抜擢された。エロ雑誌写真デビューに続き、再びコンビニで泣いた。

ライターの思い出:17

多忙で案件を振った後輩ライターが記事ぶん投げてバックレたので、秩父の実家まで追いかけて引っ捕らえ、自宅に監禁した。秩父まで行く時間の方がかかったが後悔はしない。

ライターの思い出:18

伊●●商事の本社会議室にTシャツ短パンサンダルで乗り込む。ライター特権。

ライターの思い出:19

取材のためテレビ●日受付前に集合の予定が、待ち合わせ時間にT●Sの受付前にいた。テレビ業界には大変疎いのだ!

ライターの思い出:20

ライター時代に「お前の生活なんてフリーターだろ!?」などと罵りまくっていた親父が、ライターを辞め就職した後に「ライター経験が活きたんだね」などとコロリと態度を変えやがって死ぬほど揉める。そんなもんだ。

「同人誌売ってる奴」、二次創作について

同人誌売ってる奴ってなんなの?

のエントリの元増田が、以下のページにて同人問題についてコメントしている。

煩悩是道場
はてなダイアリー
はてなダイアリー

これらのコメントを読んでいると、元増田エントリで見られた煽りよりも、同人誌の頒布についてまじめに考え込んでいるようだ。
ならば話そうじゃないか、ここで。


まず根本部分。

本の形で出したいんだ、とかいう奴もいるけど別にネットに公開した上で本も出せばいい話だろうに。
同人誌売ってる奴ってなんなの?

ネットで公開すると、より多くの読者にリーチできる可能性はある。実に多大にある。しかし一方で想定以上の読者にリーチしてしまうというのはリスクでもある。
ネットでアクセスを稼ぎすぎて出版社に目をつけられるのはどうしたって避けたいところだろう。実際ドラえもん最終回など、「同人誌に限定されていれば大きな問題にはならなかった」例も既に出ているし、ある現役の漫画雑誌編集者と話をした際にも「同人誌という枠にあるうちはいいけど、ネットで堂々と漫画が公開されるようになってしまうと規制せざるを得ないよね。影響が大きすぎるから」という話は出ていた。
ネット・無料というのは力が強すぎるんだ。本体である漫画雑誌・単行本の影響力を超えてしまうほどに。原作者側としては二次創作によって金銭の授受が行われているかよりも、それらの行為によって意図しない反響が起こってしまうことの方こそ恐れている。ドラえもん最終回に見られる「勝手に設定を付け加えられ感動されてしまう状況」、初音ミクに見られる「ネギを持つという勝手なキャラクター設定追加」などだ。原作者の手の及ばない範囲で作品に勝手なイメージが付き、以降の展開でそれらを裏切ることが難しくなるのは何よりも避けなければならない。
であるから、同人者たちが自分たちの二次制作品をネットで公開することに消極的な現状は、原作者達とぎりぎりの折り合いがつく結果になっていると言えるだろう。


次。

人の権利侵害して金儲けする行為がここまで堂々と街中で行われてるのは先進国として異常じゃないの?
同人誌売ってる奴ってなんなの?

先進国云々はどうでもいいが、権利侵害に関して言っておこう。
確かに二次創作同人は権利侵害だ。現在のところ二次制作同人は原作者側が大きなアクションを起こさないことを前提に、「黙認」を好意的解釈して活動しているに過ぎない。ある日出版社なり制作会社なりが同人を禁じたなら、原作者が漫画のコマ外で「俺のキャラクターで同人活動をするなんて一切まかりならん」とコメントしたならば、一瞬で大義名分を失ってしまう危うい存在だ。


これは同人誌を無料にしようが有料にしようが変わらない。
権利者側から見れば同人者が二次創作して小金を稼ぐことなんて、大した問題ではないのだ。キャラクタービジネスをやっていればどの会社もライセンス違反の問題にブチあたるが、それらが下手なアウトプットをしてブランドイメージを低下させてしまうこと、それらが変に影響力を持ち著作物に関するイニシアティブを握ってしまうこと、それらに人が集まることで原作たる著作物がただのネタ元になり人が集まらなくなってしまうことこそが大問題なのだ。
もちろん権利者として人の褌で稼がれることに関する不満を帳消しにするつもりはない。だがこのエントリの筆者たる俺も1権利者であったが、これは上記に比べれば些細な問題に過ぎない。この不満は著作権法という法律によって容易に、今すぐ解決できる話だ。


でだ。君はどうなんだ?
ニコ動なりpixivなりで著作権を侵害した作品を閲覧している君は。
視聴者としてこの権利侵害に参加している君は、作り手だけを「侵害者」として糾弾する権利があるとでも思っているのか?
著作権侵害という問題は同人誌として公開しようが、ネットに公開しようが変わらない。著作権を侵害しているという意識は作り手も、受け手も同時に持つべきものなのだ。関わる全てが共犯意識を持つべきなのだ。さらにこの問題のプレイヤーは作り手受け手だけではない。ニコ動・pixivなどの場の提供者はそれ以上にこの問題について薄氷の上を歩いているし、二次創作市場を利用するいくつかの著作者サイドはこの共犯意識に意図的に荷担している(そしていつでも裏切る可能性を秘めている)。
著作権侵害云々を声高く言えるのは全ての二次創作を否定できる人間だけだ。優良だ無料だという枠は関係ない。
で、君は二次創作作品を受け取る身として、「お前ら送り手は二次創作の一切のリスクを抱え込んで俺ら受け手に良質な二次創作品を無料で提供すべきだ」と発言するのか?麻薬のブローカーが金を儲けることを責めて自分は麻薬を無料で享受したい、そんな意見にしか聞こえないが反論はあるかね?


といったところが君の論の根本部分に対する言及だ。
どうだろう?ここまでで反論する箇所はあるだろうか?
そして以下は同人という世界に踏み込んでの話になる。

結局、何のかんのいってお金とって売ってる時点でどう言い訳しようと商売だろ。
同人誌売ってる奴ってなんなの?

正直、この部分は多分に事実を含んでいる。
同人誌制作を始めようと思った奴が、一度たりとも黒字を考えず、100%純粋に「多くの人に見てもらいたい」とだけ考えていたか。否だ。
同人誌制作者が頒布という理念を徹底し、全部さばけて諸経費とトントンにするよう頒布価格設定をしているか。多くの制作者は否だ(コピー本制作者で少なからぬ数の同人者がこういう価格設定を行っている事例は知ってる。素晴らしい心意気だと思う)。


そして、一度のコミケで数百万単位の利益を得る大手サークルが存在することは間違いない事実だ。いきなり3万部も捌ききる、同人と呼ぶには影響力の大きすぎるサークルもある。「げんしけん」にも登場したような同人ゴロは多数いるし、著作権問題についてさらにまじめに考えるべきプロが生活費稼ぎのために同人を出す事例だって多い。同人者から見て明らかに金目当ての粗悪な作品も多い。この点については「同人市場」が確立されちまった80年代から同人関係者内部でも問題として語られている話で、これを否定することは誰にもできないだろう。


もはや同人誌界隈が「頒布」という言葉を盾にできる時代は過ぎ去っている。一人一人の思惑がどうであれ、同人誌文化を見たときに同人誌即売会という存在が趣味と呼ばれるものから「同人市場」というステージに移行してしまってる。


だがその上でコミケ1回に30,000サークルが集まり、そのほとんどが赤字と在庫を抱えつつそれでもなお参加を続けるのは、本当に同人誌という形式に、同人誌を介して受け手と交わすコミュニケーションに愛情を持っているからだということは、心の片隅に置いてほしい。片隅に置いた上で阿呆どもと貶すのは君の勝手だ。残念だがそれが趣味ってもんだ。
pixivにイラストを投稿するよりも遥かに手間がかかり、趣味として出すには高額な印刷代とコミケ参加費が必要なのが同人活動だ。正直、コミケに参加する30,000サークルのうち、ネットで活動すりゃ神扱いされるだろうに愚直に同人誌だけで活動しているために赤字と在庫ばっかり積み上げてる奴は多い。
やってることは著作権侵害だ。それを否定はしない。ただそこには、君が気持ち悪いという「参加者」が、赤字と在庫覚悟でコミケに参加する同人者に対して「君の趣味が1日でも長く続くように、1冊分だけだけど俺も協力するぜ」と500円を払うことを惜しまない光景があるんだということは、それこそが同人における金銭の授受の姿だということはわかってほしい。


元増田が宣言するまでもなく、発表の場を同人誌からネットに移している人間は徐々に増えている。それに従って「あえて同人誌即売会に参加する奴は金を稼ぎたいだけじゃね?」と思われる機会もさらに増えていくだろう。というか、少なくとも俺が同人誌文化に参加した17年前には既に問題になっていた話ではある。
嫌儲が二次創作に関して言説の主流となることも避けられないだろう。発表する側が全てのコストを抱えなければならない状況はとっくに来ているが、アマチュア活動の範囲を超えて二次創作で儲けることができなくなることは同人者たちの抱えていた問題を1つだけ解決するだろう。
しかし、二次創作が著作権侵害であること、送り手と受け手の共犯行為であることは変わらない。そのリスクを送り手だけに問うのなら、ネット上でも二次創作の火は細くなるだろう事は意識しておいた方が良い。
彼らが全員オリジナルで勝負すりゃいい、と思うなら話は別だが。


(個人的にはそこからいろんな文化が発達してくれた方が楽しいなぁと昔から思って活動していたりもしたわけで、ちっとも脅しにならないのだけど)


追記:エントリを上げる前後でid:y_arimさんがtwitter上で紹介された
ハピゼ - はてなハイク
を見ていろいろ考えさせられた。
文中でも触れているがこの問題は同人者がむしろ積極的に取り上げるべきものであり、むしろ俺としても無批判に同人を肯定するブコメの方が批判しなければならないだろうと思う。id:hapze-23_45さんの感覚は今の同人文化にとって極めて重要だ。
ちょっとこの問題については考えをまとめて再度上げたいと思う。