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ゲーセンノート文化を振り返る

前回エントリで「ゲーセンノート」について触れたが、現在見ることも希なゲーセンノートという文化は、90年代のオタク文化にとって重要な事実であるにも関わらずまとまった情報がなく、後年のオタク史では語られないままになってしまうのではないか、と感じていた。オタク文化史の流れ、特に同人文化の流れを見ると欠かせないネットワークが形成されていたが、存在そのものが草の根であったためあえて触れられることが少ない。ブコメid:y_arimが危惧していたが、僕も同じ思いを持っている。
だから、ここにゲーセンノートという文化についてわかるかぎりを残しておこうと思う。
ちなみに僕は93年ごろからゲーセンノートの書き込みを始め、川崎の数店舗・渋谷・代々木他の店舗などで常連となり、流しのノーターとして各地のノートを書き込み、あるいは読んできた。体験談が元になっているため、一部客観性が失われている可能性についてあらかじめお詫び申し上げる。

■ゲーセンノートとは

ゲーセンノートとは名前の通りゲームセンターの一角に置かれたコミュニケーションノートを指す。基本的には店舗が管理を行っているが、例外的に常連客が店舗側に交渉して置かせてもらい、管理を担当している場合もある。
大概の場合、ゲーセンのビデオゲームコーナーの一角にテーブルが置かれ、コミュニケーションノートと筆記用具、場所によってはスコア記録帳、イラスト記帳用のバインダー(白紙のルーズリーフ入り)もしくはクリアファイル、ゲーメスト、新作ゲームの広告が置かれていることも多い。
このゲーセンノートにはゲームの攻略情報や、新作ゲームに関する話題、人気ゲームのキャラクター論、ゲームキャラクターのイラスト、ノートに関する自治議論、「今から飯食ってくる」、常連同士の馴れ合いと言い争いが書き込まれる。常連の少ない店ほどチンコマンコウンコが殴り書かれることが多い。
ゲーセンノートの起源は後述するが、格闘ゲームブームから音ゲーブームの期間、93年から98年が最盛期であった。特に格闘ゲームブーム期は同人文化をも飲み込む勢いであったため、絵師やコスプレイヤーが数多くゲーセンノートを利用している。

■ゲーセンノートの起源 −スコア記録帳としての成立と定着

ゲーセンノートの誕生は定かではなく、諸説が語られているが、高校時代の級友のお父様から、1978年のスペースインベーダーブームに伴うゲームセンターの乱立期にスコア記録ノートが置かれていたという話を聞いている。記帳の文化はゲームセンターの発生以前から存在するため、別の形でどこかのゲームセンターにノートが置かれていた可能性はあるが、ゲーセンノートは元々スコア記録用として始まったと、考えて良いだろう。

「スコア記録用」としてのノート文化が明確に拡がる契機となったのが83年のべーマガ・及びゲーメストが始めたハイスコアランキングだった。これは全国100店以上に及ぶゲームセンターの協力のもと行われていたが、この集計にスコア記録ノートが置かれたのだ。
当時、ベーマガゲーメストのハイスコアランキングはゲーマーにとっての権威であり、ゲームに新しい流れと楽しみ方を生み出す存在だった。遠い地方のプレイヤーが出すスコアに驚愕し、上位に食い込めるだけの記録を出せるよう地元で修練を積み、トップゲーマーがどんな奴かを仲間同士で話し合う。そして自信をつけたゲーマーはランキング集計店に集まり、全国ランキング戦に参加するのだ。
この時期のランキング集計店の雰囲気もまた、失われてしまった一つの文化である。近隣各地からゲーマーがランキング集計店に集まり、技術を切磋琢磨し、居住地を越えてコミュニケーションをはぐくむ。ノートはその目標となり、ゲーセンはゲーム文化を包み込む場として機能していた。そしてゲーマーの集まる“場”として、ノートには新しい役割が生まれる。これが後年爆発的に流行する「コミュニケーションノート」だ。

■ゲーセンノートの発達 −コミュニケーションノートの全国普及

コミュニケーションノートとしてのゲーセンノートの発生をランキング集計店としたが、ハイスコアランキング期以前からどこかで行われていただろうことは容易に考えられる。しかしオタク文化の文脈としてはこれを発祥とするのが正しいだろう。これ以前のコミュニケーションノートはおそらくラブホテルに置かれたノートと同様、ヤンキー文化の一つとして語られるべき存在であるように考える。

さて。スコア記録帳・コミュニケーションノートとして、複数の役割を持つことになったゲーセンノートだが、ベーマガゲーメストが相次いでハイスコアランキングを終了したことで、コミュニケーション部分のみが育っていくことになる。
(店舗協力のもと行われていたハイスコアランキングだが、虚偽の報告やスコアの出し渋りなどの結果、価値をなくしていったのである。ただしぷよぷよのブーム時など、散発的にスコア記帳が復権した時期は存在する)
そしてコミュニケーションが主な目的となったことでゲーセンノートはランキング店舗だけでなく、全国のゲーセンに広がっていくようになる。
ストIIのリリース以降発生した格闘ゲームブームはゲームセンターに多くの熱狂者を集め、常連達のコミュニケーションが行われるようになっていく。
その後、格闘ゲームブームは同人文化の中心的な存在にもなる。これにより多くの絵師・コスプレイヤーもゲーセンノートに参加していくことになるのだ。
特にそのキャラクターが人気を集めたKOFシリーズがリリースされるころ、ゲーセンノートはその最盛期を迎える。

■ゲーセンノートの終焉 −1つの文化の終わり

ゲーマーにとって重要なネットワークツールとして用いられたゲーセンノートであるが、98〜99年を境に、急速にその数を減らし滅びていくことになる。原因は2つ考えられる。


1)格闘ブームの終焉に伴うゲーセン離れと筐体の高額化
各地で盛り上がっていたゲーセンノートだが、話題の中心が格闘ゲームであったことはほぼ異論のないところだろう。この格闘ゲームブームが98年頃には終わりを迎えていた。代わってゲーセンで台頭したのはビートマニアに始まる音ゲーであったが、これらは絵師の心をくすぐらないものであったこと、これまでのゲーマー全員が移行できるジャンルではなく多くのゲーマーが離れてしまったため、既存のノーターが離れる結果となった。(逆に音ゲーユーザーのコミュニティ形成のために生まれたゲーセンノートも存在したが、次に挙げる原因で長くは続かなかった)
また、音ゲーブーム以降のゲームはこれまで格闘ゲームブーム時代のように基盤の入れ替えだけでは展開できず、高額な筐体の購入が必要になることで、ゲーセンノートを置いていた多くの店舗が縮小・閉店を余儀なくされてしまった。2000年以降は都市型・郊外型大型店舗がアミューズメントゲームの主役となるが、これらの店舗とゲーセンノートはなじまないため、ゲーセンノート文化は継承されなかったのだ。
ゲームセンター内の様相が時代と共に変わってしまったことにより、ゲーセンノートがその役割を終えたのである。


2)インターネットの流行
b:id:kanose氏が98年に言及されたとおり、オタクというのはネットワークを形成することに非常に長けた人種である。彼らは使いうるあらゆる手段を使って同好の士とのコミュニケーションを楽しんできた。そんな彼らにとってインターネットは最高のツールとなった。ハイスコア集計のオンライン化、あるいは直接的にオンライン対戦が楽しめるゲーム、同好の士との出会いも、コミュニケーションもネット上で行える…となればもはやゲーセンノートが存在する意義は多くない。


かくしてゲーセンノートは一気にその数を減らしていく。後述するがゲーセンノートというのはとかくトラブルの多いもので、トラブルが発生した場合、すぐにノートの撤去が行われてしまう。新たにノートが立ち上げられることは少なく、2009年現在、活発なやりとりが行われているノートを見ることは難しくなっている。

■ノーターあるいはノート常連

このゲーセンノートに定期的に書き込みを行う人はノーター・あるいはノート常連と呼ばれている。基本的にゲーマーであり、その上で(格闘ゲームブーム時代は特に)絵師・コスプレイヤーの比率が高いなど、同人文化と近い位置に置くことができる。
が、ちょっとオタク系コンテンツに興味がある程度の「普通の」女子中高生が混ざり込むことも希ではなく、変な異文化交流や愉快な人間関係に発展することが多い。

■店舗単位のコミュニティ

ゲーセンノートの常連達はノートを通じてコミュニティを形成するが、その雰囲気は排他的に映ることが多い。ノーター以外のゲーセン利用者からいつも群れている連中と映るだけでなく、他店舗の常連との中も多くの場合良好ではない。他店常連がホーム店舗にいるとちょっとピリピリした空気が流れたり、場合によっては小競り合いが発生することも少なからずある。
一方でノーター個々人はアウェーのノート店舗を訪れることも多く、複数拠点を持つことも多いほか、流しのノーターとして各地のノート店舗を訪れては各店の常連とコミュニケーションを育む例もある。
また、ハイレベルなゲーマーが集まる旧ベーマガゲーメストランキング店舗や、秋葉原・代々木・池袋などのオタクの聖地に存在する店舗など、様々なエリアのノーターが集まり巨大なコミュニティを形成する場所も存在する。これら巨大店舗では数日で2〜30ページが余裕で埋まってしまうなどインターネットのない当時では考えられないほどの情報交換が行われていた。

一つの店舗のコミュニティの雰囲気で見ると、一つのサークルのように見えることが多いだろう。ゲーセンに集まって1日ゲームをしたり、雑談をしたり、ノートにイラストを描き込んだり。閉店しても店外で雑談をすることしばしばで、大晦日や正月などはノーターが集って最寄りの神社を詣でる。喧嘩もあれば仲間意識もある、派閥もできるし恋愛でもめることもある。

■代々木の落書きボード

ゲーセンノートと同時期に存在した文化として、JR代々木駅内回りに置かれていた「落書きボード」がある。これは当時代々木の予備校生達が願掛けとして駅に落書きしていた行為の対策として始められたものであったが、同駅に代々木アニメーション学院があったためか、ハイレベルなイラストが描かれるようになり、次第に聖地化していったものである(考えてみると鷲宮の痛絵馬などはこの文化に近いかもしれない)。
このボードでは絵師達の直接的なコミュニケーションは多く行われなかったが、送り手と受け手のコミュニケーション例として後生のオタク史に残しておくべき現象であろう。
(落書きボードは現在存在しない)

■ゲーセンノートを置くメリット・デメリット

ゲーセンノートは店舗側が設置する物であるが、店舗にとって明確なメリットの見込めるものであった。ゲーセンというのはとにかく稼働率を高めることが重要であり、毎日何千円もゲームをプレイしてくれる常連というのは欠かせない要素だが、ノートを設置することでこの常連を獲得することができるのだ。ノートがあることで、ヘビープレイヤーが他店舗に逃げないというメリットは大きく、ノート設置にかかる費用も少ない。このため、新規顧客が多く見込めない小規模店舗はこぞってノートを設置することになる。
アミューズメント業界誌でゲーセンノートについて言及されるなど、このメリットは当時非常に有望視されていた)
しかし、ノート常連がゲームもせずに店舗に居座っている、人気ゲームを集団で占有するなどといった苦情もあり、ノーターによるトラブルが発生した場合、ノートを撤去しコミュニティを実質解散させなければならないことも多くあった。

「ゲーセンノート」はゲームセンターにとっては「百害あって一利なし」なんだが、経営者側がそれに気付く前に現場の不見識により広まってしまった、というのが実情ですよ。 : ゲームセンターに明日はあるの? - livedoor Blog

店側からの視点での言及がされている。述べられている意見は正しく、言及された内容は事実として経験している。店員から有力な常連やノートに対するコントロールが行われる例は多い。またノート常連が金を使わないという悩みは多くの店員から聞かれたことでもある。

■ゲーセンノートとペンネーム

同人文化では古くからペンネームを用いる文化があり、パソコン通信・インターネット文化でもペンネームは一般的に用いられるが、ゲーセンノートでもこのペンネームが用いられることが多い。
元々はゲームのスコアネームが用いられていたが、ゲーメストのハイスコアランキングの影響や、他のオタク文化との融合によりペンネームが使われるようになった。ゲームセンターというオタク以外の人種も多く集まる場でも平然とペンネーム文化が培われていたことは、一つ特筆に値する現象と言えるだろう。

■ゲーセンノートと絵師

ノートを彩る絵師の存在はゲーセンノートにとって欠かせない存在である。インターネットや同人界隈と異なり、淘汰する存在が少ないため下手なイラストの含有率も非常に高くはあったが、その中でもハイレベルな絵師は少なからずおり、彼らはゲームの上手さを問われることなく常に尊敬の的となった(なぜか絵の上手い人はゲームも上手いのだが)。一時のオタク文化の傾向として「絵の上手さ=強さ」のような感覚があるが、ゲーセンノート文化はまさにその中にあったと言っていいだろう。
また、バインダー設置店などではルーズリーフを持ち帰りトレースしたイラストを持ち込んで賞賛を得ようとする偽絵師がいたり、トレースだとおもったらモノホンの漫画家やイラストレーターだったなど、ゲーセンノートならではの光景も見られる。
各地のゲーセンを回って美麗なイラストを楽しむというのもまた、僕のような流しのノーターにとっては代え難い楽しみであった。

■トラブル

昼の部・夜の部闘争

ゲーセンを核として生まれるゲーマーコミュニティで特徴的なトラブルがこれ。放課後に集まる学生同士が形成するコミュニティと、夜間から深夜にかけて集まる社会人ノーターが形成するコミュニティが分断され、ノートの主導権を賭けて争われることがある。このトラブルは1日中ゲーセンに入り浸るフリーターや専門・大学生常連が多い場合や、魅力的な絵師がいると発生しないためポピュラーではないが、店舗を中心としたコミュニティの紛争例として印象的であった。

ノート持ち出しトラブル

常連絵師が気合いの入ったイラストをノートに書くべく、ノートを自宅に持って帰ってしまい、ノーター間で大論争・大喧嘩になるのは、ゲーセンでは極めて一般的なエピソードだ。大概の場合持ち帰った張本人は軽くシメられ、対策としてイラスト専用のバインダーが置かれるようになる。

イラストレーター問題

ゲーセンノートはゲームキャラなどのイラスト次々と書き込まれ、知らない店舗のノートを見るのも楽しいものだが、このイラストが元で論争が起こることも多かった。
論争の原因となるのは大きく3つで、「1ページ丸々使ってイラストを描くのはページの無駄だ」「公共の場でエロイラストを描くのはどうかと思う」「お前下手」。大概の場合は不毛な論争の後にうやむやとなるか、対策としてバインダーが置かれるようになる。大概問題の解決策は「専用ノート/バインダーを作れ」となったりするので、ノート乱立を招いたりする。

盗難問題

魅力的なイラストを描く絵師がいるノートの場合、ノートの盗難やバインダーに収められたイラストの盗難が発生する。何かと便利な対策として挙げられるバインダーだが、持ち出しが簡単なので好みのイラストだけ掠め取る行為も見られた。「どうすれバインダー」なんて冗談はともかく、自治論争が盛り上がって面倒くさがられてノートが廃れるというのもゲーセンノートの崩壊例としてよく見られる。厳重に紐で机につながれたノートがあったとしたら、これはこの手の騒動の跡であると考えて良いだろう。

ゲーセン間抗争

ノーターのコミュニケーションは店舗単位で排他的であるため、店舗間でのトラブルというのは各地で散見される。特にノート店舗でノートが撤去されたり閉店してしまった場合、ノーターが近隣のノート店舗に一斉にホーム替えをする「ノート難民」が発生した時に起こることが多い。

ゲーセンクィーン

ゲーセンクイーンってのはまだ存在してるのかね?
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ゲーセンクィーンは古今どんなゲーセンにも発生しうる - hatena@raf00
オタク男子中心のノーターコミュニティに女子が入ってくると、この女子を巡る恋愛問題が発生し、ほのぼのしていたコミュニティが一気に崩壊することがある。所謂サークルクラッシャーのゲーセン版で、オタクサークルならどこでも発生する問題だ(TRPG業界では「粘着湯気女」と呼ばれたりしていた)。
ノートコミュニティを巡る恋愛沙汰というのは数限りなく存在し、僕もゲーセンクィーンを原因としたノート崩壊例や、一見何気なく集まった男子4人女子4人がそれぞれ複数人との肉体関係を持っており、にこやかな雑談の裏で全員が肝を冷やした「夜中のオクラホマミキサー事件」、人気ノーターの彼女が陰で他の常連と援助交際をしていた「不知火舞の声真似事件」などに出くわしている。